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英霊の遺書(9)

最期の手紙

  陸軍中尉 岸 文一 命

  昭和十九年十月二十四日 比島にて戦死

  新潟県刈羽郡田尻村出身

  新潟第二師範学校卒  享年二十二歳



 秋も深くなり裏庭で鳴く虫の音は今年も変らぬことと思ひます。皆さん

と一緒に物語つた夜の数々の追憶で胸一杯になる事があります。きつと御

両親様始め妹弟もさぞかし私の事を片時もお忘れなく御心配下さることと

推察いたします。

 五月帰省の折妹から次の話をきかされました。「お母さんは兄さんの入隊

以来、毎日写真の前に隠膳を供へ、自分ではお茶を絶ち、毎晩鎮守様へ武

運長久のお祈りに参拝していらつしやる」と、私は有難くて返事が出来ま

せんでした。殊に入隊出発の前夜は歓送の宴で非常にお母さんには疲労な

されてをられたのに、翌日の準備で一睡もとられず、私の打ち振る国旗の

サインに「帰子待喜」と署名下された。尊いこの四字は暇さえあれば拝見

して心の糧とし教訓としてをります。戦は益々苛烈になりました。到底生

還は望めません。私も多数の方々や可憐な学童の咽をつり上げて軍歌を唱

ひながら国旗の波で元気一杯送つて下されたあの姿が、今もなほ脳裏に深

く染み込んでゐます。この世に天恩と父母の恩が最なるものと信じてゐま

す。お母さんは日頃病弱でいらつしやいます。妹や弟はどうぞ私の分をも

孝行して下さい。

御両親様妹弟の健康を神かけてお祈りし、不孝な私をお赦し下さい。先

般お送りしたアルバム三冊は妹弟への記念です。どうぞ私の事はご心配な

く、戦死とお聞きの時は私の本望とおよろこび下さい。さやうなら

 昭和十九年十月十四日夜