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英霊の遺書(14)

沖縄の戦陣より妻へ

            陸軍中尉 渡辺健一命

            昭和二十年五月二七日 沖縄本島喜屋武にて戦死 

            栃木県出身 東京大学卒 享年二十九歳

 

 まだお便りする機会は何度かありませう。しかし時期はいよいよ迫りつ

つあります。それが何時であるかはもとより予測することは出来ませんが、

おそらくは、あなた達の予想外の速さでやつて参りませう。その時の来な

い中に、言ふべき事は言つて置きたいと思ひます。然し、いざペンをとつ

ていると今更乍ら申すことのないのに気がつきます。今の私は強くあらね

ばなりません。寂しい、悲しいといふやうな感情を振り捨てて与へられた

使命に進まなければならぬ立場にあるのです。ただ一切を忘れて戦つて戦

つて戦ひ抜きたいと思ひます。不惜身命 生きる事は勿論、死ぬことすら

も忘れて戦ひたいと念じて居ります。南海の一孤島に朽ち果てる身とは考

えずに、祖国の周囲に屍のとりでを築くつもりで居ります。何時かはあな

た達の上に光栄の平和の日がおとづれて来ることと思ひます。その日にな

つて私の身を以てつくしたいささかの苦労を思ひやつて下されば私達は、

それで本望です。

 愛する日本、その国に住む愛する人々、その為に吾等は死んで行くのだ

と考えることは真実愉しいものです。運命があなたにとつての良き夫たる

ことを許さなかつた私としては さう考えることによつて あなたへの幾

分の義務を果たし得たやうな安らかささえ覚えます。……

 一度戦端が開かれれば、一切の手段をつくし最善の道を歩むつもりです。

万一の事があつたさい、たとへ 一切の状況が不明でもあなたの夫はこの

やうな気持で死んで行つた事だけは、さうして最後まで あなたの幸福を

祈つて居た事丈は 終生 覚えてゐていただきたいと思ひます。

 その後体の調子は相変らず、すこぶる好調です。いつも乍ら御自愛を祈

ります。

 御機嫌よう。

 昭和二十年二月十日